ショタコンとは、ちっちゃくてペロペロしたくなるくらいかわいい男の子を好むド変態どものことである。
かつては「女が二次元の幼少男子に対して抱く性向」とされていたが、現在では男だろうが女だろうがにゃんこだろうが、対象が二次元だろうが三次元だろうがお構いなしにショタコンと呼ぶ。
当サイトを運営する烏袮コウも当然矢の如くショタコンに属する。
概要
男は皆ショタコンという説がある。
健全な男子であれば「息子がほしい」「跡取りがほしい」「世継ぎがほしい」と思うのは当然であり、それは「ショタがほしい」と同義であることは間違いない。
息子とキャッチボールをすることが全ての男のDNAに刻まれたリビドーなのだ。
幼女に発情するロリコンどもは「若い女と子孫を作ることこそ男に備わったDNAだ!」と主張するが、そもそも性的嗜好と恋愛と生殖活動は分離して語られるべきであり、「ちゅっちゅペロペロするのはショタ、生殖活動は女」と分別しなければならないことからその主張は否定されている。
日本は古来より男色文化であり、特に僧侶や武士など上級国民はショタコンが多かった。
ショタの頃から徹底的にペロペロし、身も心も支配して、絶対に裏切らぬ忠誠心の高い部下を育てるのは、上級階級の政略のひとつなのである。
また、僧侶は女色厳禁であるが、男色はやり放題。当時は男娼のことを「陰間」と呼び、男色専門の風俗は「陰間茶屋」であった。坊主どもは、ここで堂々と遊ぶことができたのである。
大きな違いは、現代の陰間は自由意志と自己責任でその世界に入り、プロとして従事しているのに対し、江戸時代の陰間は少年のころに売られ、玄人に仕立てられたことだ。((江戸の下半身事情/永井義男 P135))
坊主どもがショタとペロペロしていたことは明らかであろう。
これが、我が国でたかだか 2 , 300 年前のおはなしである。
歴史的に見ても、かわいいショタを愛でるのは、男として当然のことなのである。
紀元前のショタコン
全ての男がショタコンであることを裏付けるものとして、紀元前の古代ギリシアにおいて、少年愛は「パイス(少年)」と「エロス(愛)」の合成語で「パイデラスティア」と呼び、男はショタを愛でることが理想的な愛の形であったとされる。
ギリシア人にとって少年愛は、異常で不潔なものであるどころか、理想的で崇高な愛のかたちだったのである。((世界情死大全 – 「愛」と「死」と「エロス」の美学/桐生操 P18))
当時のギリシアは軍事国家であり、ショタは 7 歳になると親から引き離され、軍隊やパラエストラ(体育館)に送られた。
ここでショタは兵士として訓練を受けるのだが、当然周りは男しかいない。そうなると、どうなるかというのは言うまでもないであろう。
ときに戦争と同性愛は密接な関係があると指摘されている。
愛が人を強くするのは当然のことであるが、では、その相手が女ではなく、戦場ですぐ近くにいるとなると? 愛する者に死を恐れる自分の情けない姿を見せたいと思うであろうか・・・強く勇ましい自分を見せたいと思うだろうし、愛する者を命をかけて守ろうとするだろう。それは、戦力が数倍になるということだ。
実際に古代ギリシアでは「神聖隊」という、同性の愛人のみで構成された部隊が存在した。
ショタの頃からペロペロしてそういった兵を育てるのは、軍事戦略だったのである。
ショタコンの国・富山県
https://twitter.com/komiflo/status/1247455333066444800
エロマンガのサブスク「Komiflo」の発表によれば、富山県がショタの人気タグ検索が多いという。
富山県は持ち家率が高く(かつては常に 1 位だったが、現在は生活環境の多様化で首位陥落することもあり「トップクラス」と表現されている)、かつ共働きが多い。
そのため、保育所への入所率も高水準であり(待機児童は0人)、子育て環境が整っている県である。
3世代で居住する家庭も多く、そのため「息子が欲しい」「跡取りが欲しい」というDNAが強い。
こうしたことから、必然的にショタコンが発生しやすい県であるといえるだろう。
なお、烏袮コウも富山県民である。
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